2010年06月14日

「盗まれて、得たもの」平沢 達矢

僕は今春、博士の学位を取得した。普通ならば、博士論文を提出して審査会でのプレゼンテーションに成功し、合格すれば、その後の数週間はすがすがしい気分で過ごせるものなのではないだろうか。けれども、僕はなんともかっこ悪い体験をし、達成感を感じる余裕などない年度末を過ごすはめになってしまった。

それは、審査会合格後、研究のためにスペインを訪れていたときに起こった。

僕は、脊椎動物の進化に関する研究を展開している。大学院では中生代の化石についての研究を行い、世界各地の博物館等の研究機関に所蔵されている標本を調査して廻った。スペインを訪れたのは、博士論文を書き上げた中で生じた疑問を解決するために、マドリッドにある化石骨格標本を調査するのが目的であった。マドリッドでの調査を終え、僕はちょっとした新発見に興奮しながら、世界遺産クエンカで1日だけ観光し、鉄道を利用してバレンシアを経由しバルセロナへ降り立った。

バルセロナ・サンツ駅へ到着したのは、夜の11時少し前であった。かなり疲れていたので、僕はさっさとホテルへチェックインして泥のように眠る気でいた。予約したホテルへは地下鉄1本で行けるようだったので、とりあえず同じ列車から降りた人の流れに乗って地下鉄の乗り換え口に向かった。バルセロナ・サンツ駅は天井が高い開放的な造りで、夜中とはいえかなり多くの人が行き交っており、特に警戒すべき雰囲気ではないように感じられた。

ちょうど地下鉄の入り口近くの自動販売機の前へ来たとき、背後から英語で呼び止められた。見ると僕のジャケットに白色の液体がかかっている。呼び止めた女は、駅は工事中だからどこかから垂れてきたんじゃないかと言い、ティッシュペーパーを渡してきた。コップ1杯分くらいの量の液体がかかっていたが、レザージャケットを着ていたのでその液体がかかってしまったことにはまったく気づかなかったのだ。僕は気が動転したが、冷静を装い、自動販売機のブースの前でリュックサックを降ろしてジャケットを脱いで、正体不明のその液体を拭き取り始めた。周囲には4、5人おり、特に危険は潜んでいないように僕には思えた。

その間もその女は何度も話しかけてきた。僕はリュックサックにもスーツケースにも目を光らせていたつもりだ。けれども、どこかのタイミングで隙があったのだろう。すぐそばの床に置いてあったリュックサックが別の誰かに盗まれたのだ! 気づいたときには、地下鉄入り口の階段あるいは駅の出口から犯人は逃げ、どのルートで持って行かれたのか分からなかった。僕は青くなり、すぐに考えうるすべての逃走ルートを走って探したが、まったくの徒労に終わった。

リュックサックの中には、ノートパソコンなどが入っていた。それも、研究でメインに使っているパソコンである。日本を出る前にバックアップをとってあるとはいえ、一時的にすべての研究データを失ったのだ。まったく想定外のできごとに頭の中を不安が渦巻いた。もしかするとバックアップがうまくとれていないかもしれないという心配に押しつぶされそうになる。そして、もう1つ、とても重要なものがリュックサックには入っていた。研究アイデアを書きためていたノートだ。僕は、学会やセミナーのメモや、論文を読んで気になることは、1冊のノートに書いていた。研究データを記録するノートと違ってコピーはとっていない。さらに、運悪く、そのノートにはだいたい1年分ものメモが書かれていた。失われてしまった内容の量を想像すると頭がクラクラしてきた。

マドリッドでの調査の際に撮った標本写真のデータも、パソコンの中だった。USBメモリにも標本写真のデータを入れてあったのだが、このときは鉄道での移動ということもあり、他のパソコン周辺機器とともにリュックサックの中に入れたままであった。つまり、マドリッドで撮った写真は手元にまったくなくなってしまった。

ここで僕は腹を決めた。もう一度マドリッドに行って、写真を撮ってくるしかない、と。それには帰国の予定を延期しなくてはならない。そして、後悔しないように、バルセロナを発つ前に、奪われたものを取り返せるわずかな可能性でも残しておこうと思った。バルセロナ・サンツ駅をパトロールしていた警察官に事情を説明すると、盗まれたものが見つかる可能性は限りなくゼロに近いと言われた(当然だろう)。しかし、それでも悪あがきをしておかなくては気がすまなかったのだ。

残念ながら、バルセロナの警察官の多くは英語がしゃべれない。駅で出会った警察官以外には、英語を話せる者がなかなか見つからなかった。2カ所の警察署に行ったが、英語はなかなか通じず、なかなか意思の疎通がはかれない。結局、片言の英語で紹介してもらった郊外にある大型の警察署にまで行き、そこでようやく被害届を作成することができた。このとき、時刻は夜中の2時をまわっていた。駅で話しかけてきた女(犯行グループの一人に違いない)の顔を思い出せなくなってしまうのが怖く、何としてもその日のうちに被害届を作成しておくべきだという思いが、それまでの疲れを忘れさせていた。警察で前科者リストを照合した結果、駅で話しかけてきた女は「プロの犯罪者」で、同じ手口で何度も犯行を重ねているらしい。警察官が言うには、やはり複数人による犯行である可能性が高いそうだ。

被害届を作成してもらった後、スケジュールを変更して帰国を延ばすために、ホテルの部屋から日本へ電話をした。電話に出てくれた方々は、混乱している僕を電話口からなぐさめてくれた。英語すら満足に通じないバルセロナで、この電話での会話によって僕はようやく落ち着きを取り戻し始めた。しかし、それでも結局一睡もできず、ホテルの部屋で、夜が明けてから今日一日何をすべきかを考えていた。パソコンや現金はもう戻ってこないだろう。だが、研究アイデアを書きためていたノートはもしかするとリュックサックとともにすぐに捨てられるかもしれない。また、僕はその頃、マドリッドに戻る前に取り戻しておくべきものがあることに気づいた。カメラや携帯電話を充電するためになくてはならない電源プラグの変換器だ。日本のコンセントからスペインのコンセントへ変換する変換機は、どこに行ったら手に入るだろうか? 少し考えた末、バルセロナ空港に行って、バルセロナから日本へ帰国する日本人に頼んで譲ってもらうという案を思いついた。

そういうわけで、朝になると僕はバルセロナ空港に向かった。まずは、手持ちのバルセロナから東京への航空券のスケジュールを変更し、バルセロナからマドリッドへの便と、マドリッドから東京への便を手配した。空港の売店をのぞいてみても、やはり日本式からスペイン式への電源プラグの変換器は見つからなかったので、出発フロアで日本人の方に次々と声をかけ、変換器を譲って欲しいと頼んでまわった。幸いにも、親切な1人の女性が変換器を譲ってくれた。これで、マドリッドでの再調査の準備は整った。

次に、僕はバルセロナ・サンツ駅に行き、レンフェ(スペイン国鉄)と地下鉄のそれぞれの遺失物取扱所で、紛失届けを出した。また、英語を話せる清掃員がいたので、僕のリュックサックの外観を説明し、見つけたら警察に届けて欲しいこと、それから、このことを仲間に伝え情報を共有して欲しいことを伝えた。また、タクシー乗り場に行き、同じことをタクシードライバーにも頼んだ。藁にもすがる思いというのは、このときの心情を指すのだろう。

そうこうしているうちに、バルセロナでの1日は終わり、僕はホテルへ戻ってマドリッドでの調査の支度をした。ずいぶん目減りしてしまった荷物を詰め直している間、失った研究アイデアノートのことを思うと、とても心細かった。乱雑に書きなぐられたメモではあったが、その内容のほとんどがこれからの研究につながる大事な情報だったはずだ。僕は、砂漠の真ん中で方位磁石もGPSもなくしてしまったような気持ちになっていた。

次の日、僕はマドリッドへ出発した。最初のうちは、不安や後悔がどんどん心の奥底から湧き上がってきた。そこで僕は、事件後に行った対応について考えることにした。前日はバルセロナ市内を走り回り、最大限の対応をしてきたように思える。そのことに関しては後悔することはない。順番にいろいろと思い出していく中、電話で指導教官が言ってくれた一言が不意に浮かんだ。僕はそこで「頭の中に残っていないことは、たいしたことない」と言われたのだった。言われたときには事件後の対応で頭がいっぱいで聞き流してしまっていた。けれどもマドリッドへの移動中それは妙に心にひっかかって、徐々に僕の不安を溶かしていった。できる限りの手は尽くしたので、あきらめなくてはならないという現実をようやく受け入れるようにもなってきた。そして、バルセロナからマドリッドへの飛行機の中で、いつしか僕は、学部4年生、つまり研究というものに手を出し始めた頃のことを思い出していた。

古生物学と地質学の研究で卒業論文を書くにあたって、僕は東北地方の山の中のフィールドと向き合うことになった。まずは露頭を見て廻り、どのような岩石が分布しているかを調べていくことから始めた。地質調査の実習は何度か経験していたとはいえ、初心者にとってこの調査は試行錯誤の連続で、時間がかかるものであった。風化が進んでいて、少し見ただけでは岩石の種類が特定できなかったのだ。僕は、繰り返し同じルートを歩いて観察を積み重ねるしかなかった。持ってきている資料は限られているから、頼りになるのはほとんど自分の能力だけだ。誰もいない林道や沢を歩き回りながら、僕は自分を試されているような気分を味わった。これが僕の研究の原体験である。

そのとき、マドリッドへ向かう機内でぼんやりと考えたのは、このフィールド調査こそが、僕にとってすべての研究活動を象徴しているのではないかということであった。植生におおわれた斜面を登り、鉈を振るって岩石が見えるようにする。同じルートを何度か通って、突然、重要な発見に行き当たる・・・。これらは、フィールド調査だけでなく、その後に展開してきた博物館調査や、研究室で考えをめぐらせているときにも共通する流れだ。そして、そんなときは、自分の頭の中身と体だけで勝負している。誰にでも同じ研究ができるわけではない。結論は誰が見ても納得するもののはずだが、誰もが最初にそれを見つけられるチャンスがあるわけではないのだ。そのチャンスをつかむためには、何よりも頭の準備が必要だと思う。

ここまで思い至って、僕は今回の事件の教訓として、バックアップの大切さを再認識した以上に、自分の頭の中を研ぎすませておくことの大切さを思い知った。情報を管理する方法がいかに発達しようとも、頭の中でしっかりと記憶させておくことを怠ってはならない、と。大学院を修了してポスドクとして新たなスタートを切るこの時期に強く心に刻み込まれたことは、考えようによっては、長い目で見れば良かったことなのかもしれない。

しかし、これからは、まず、盗まれたりしないように気をつけようと思う・・・。
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