2010年07月05日

「見つけたものは」手塚 眞樹

物理学科に進学してしばらく経った頃、 Kandukondain Kandukondain (見つけた、見つけた)という映画のDVDを買った。 2001年2月6日に観始めたようだ。舞台はインド、タミルナードゥ州の地方都市の旧家。言語はタミル語で、英語の字幕があった。序盤、
三姉妹の長女の見合いに備えて髪を結う母親に、次女「私は自分で見つける」
この場面で初めて登場する、歳の離れた三女が、「私、Raman と結婚するの」
母親「Raman! 誰なの?」
長女「ノーベル賞をとった科学者 C. V. Raman よ。30年前に亡くなったけど」
という会話があった。 Jane Austin の Sense and Sensibility をモチーフとするこの映画では、長女と次女それぞれの結婚が主題である。脇役となる登場人物の描写に、このような会話が使える言語圏があるのか。驚いた。

Chandrasekhara Venkata Raman (1888-1970) はタミル語圏の出身で、大学も現在のチェンナイで出ている。 1928年に発見したラマン効果(ラマン散乱とも)で1930年にノーベル賞を、自然科学分野ではアジア人として初めて受賞した物理学者である。ラマン効果は、物質により散乱された光の中に、入射光と異なる波長の光が含まれる現象である。このときに起きる光子の非弾性散乱は、物質中の電子の状態に依存する。ラマン効果は分子や結晶の構造、また材料の組成などを知るのに現在でも利用されている。 Raman がこの効果を発見した2月28日は、1987年以降、インド全土の学校で National Science Day として祝われているのだという。

年齢の中央値が20歳代半ばという若い人口を持ち、収入の格差の大きいインドにあって、いわゆる娯楽映画の多くは、経済的に成功した年上の世代から若い世代への呼び掛けという面を、程度の差こそあれ持っているように思われる。もちろん、興行的には、もともと受け入れられやすいメッセージを含んだものでなければなかなか難しい。誰もが学校で聞いたことのある地元出身の科学者の名前が、このような形で出てくることからは、科学に興味を持つことをとても肯定的にとらえる社会の雰囲気が感じられる。

ちなみに、この映画には中盤、ある企業家が「数学の天才 (Srinivasa) Ramanujan (1887-1920) のようにうまく計算して投資家の資金を巻き上げた」というような表現も出てくる。それ自体は決して肯定的な言い方ではないが、郷土の研究者の名前がよく知られているもう一つの例といえる。

映画の主役の一人は、映画監督を目指す男性で、最初の監督作が完成したら、と長女に求婚する。映画を作ることについての映画は映画関係者が最も良く知っている仕事を描くもので、インドでも数多い。本作の音楽監督の AR Rahman は1998年に日本で公開された1995年のタミル映画2作品(Muthu, Bombay)でも音楽監督を務めた。後年、米アカデミー賞を受賞したが、2000年の時点で既に人気評価ともに高く、表彰される本人の役で出演もしている。この映画には参加していないが、1940年代から数千の映画音楽を歌ってきた歌手 Lata Mangeshkar の名前も出てくる。

彼らの音楽を知っているように、 Raman や Ramanujan という科学者が自分たちの土地に育ったことを知って映画を観ている人たちがいるのである。今から思えば、この映画に触れたことは、私にとって、好きな物理学の研究を将来の仕事にすることへの希望を強くするものであった。それと同時に、広く世の中に向けて、とくに生まれ育った日本で日本語で、物理学や基礎科学のおもしろさを研究者として語っていきたい、と思い始めるきっかけでもあったように思われる。

余談になるが、日本ではしばしば、インドの娯楽映画では意味の薄い歌と踊りが突然始まって上映時間の多くを占めると考えられているようである。これは全くの誤解である。科学論文に、その分野の研究者に対して主張を説明する不可欠な要素として図が含まれるが通常面積の大部分は占めないのと同じように、歌と踊りは、インドの文化的伝統を知る受け手に対して物語を語る重要な要素として映画に含まれるが、通常、時間の大部分は占めない。 2時間を超える映画でも、各5分前後のものが6曲程度のことが多いようである。歌詞のみならず、踊る人々の服や装身具、踊りの空間に現れる一見物語と無関係な事物も、歌舞伎でそうであるように、観客との間で共有された一定の約束に基づいて意図的に選ばれた部分が多いのは、多くの専門書で詳説されているところである。

さて、インドの人たちが誇りにする科学者は数多いが、ここでは、物質と光の相互作用ということから連想される、もう一人の先駆者の名前を挙げて筆を擱きたい。現代の映画に不可欠なカラー写真を、半永久的に色が残るものとして初めて実現したのはスコットランド人 James Clerk Maxwell (1831-1879) である。因みに、彼が生まれた Edinburgh の家は現在 International Centre for Mathematical Sciences という数学の研究所の一部になっているが、その住所は India Street 14番地である。 Maxwell は電磁波の存在を予言し、可視光も電磁波の一種であると主張した。電磁波を実際に初めて発生させかつ検出したのはドイツ人 Heinrich Hertz (1857-1894) であったが、 Hertz は応用の可能性を追究することなく若くして没した。

その後、 Guglielmo Marconi (1874-1937) が長距離の無線電信を実用化するより早く、ロシア人 Alexander Stepanovich Popov (1859-1906) らとほぼ同時期の1895年頃に無線電信の送受信機を開発し、次々に公開実験を成功させたのが現在のバングラデシュ出身のベンガル人 Jagadish Chandra Bose (1858-1937) である。 Bose はコルカタの大学を卒業後、英国 Cambridge で Rayleigh 卿 (John William Strutt) らに学び、コルカタに帰って Presidency College の教授となっていた。 J. C. Bose の無線電信の特徴は、それまでの実験で使われた極超短波(UHF)やセンチ波ではなく、より波長が短く周波数の高いミリ波を使ったこと(ただし、同時期に P. Lebedew という人もモスクワでミリ波の実験を行ったという)と、半導体の接合を利用した受信機を使ったことにあったといわれる。半導体の産業上の利用が盛んになったのはトランジスタの発明後、1950年代からである。 Bose の実験で使われた 60GHz 付近の電磁波は空気中の酸素により吸収される問題があったが、このため遠くに届かず混信が少ないことと、高い周波数による伝送容量の大きさとを生かし、近年になって家庭内での広帯域の動画伝送などに利用されはじめている。

参考文献 http://www.tuc.nrao.edu/~demerson/bose/bose.html D.T. Emerson: "The work of Jagadis Chandra Bose: 100 years of millimeter-wave research" IEEE Transactions on Microwave Theory and Techniques Vol. 45 (12), 2267-2273 (2007).
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