2010年08月25日

「星空を見上げるように」四宮 和範

子どものころ、宇宙飛行士になりたかった。

27歳の現在、脳神経の研究をしている。相手にしているのはショウジョウバエの脳である。

顕微鏡下で脳にレーザー光を当てると、細胞体、グリア組織、整然と束をなす神経線維、雲のように枝分かれして投射する軸索末端といった、脳の中のさまざまな構造が、3色の擬似カラーで鮮やかに浮かび上がる。暗室のコンピュータの前で、次々にスキャンされていく脳の画像を見つめながら微細な神経線維を追跡するのは、望遠鏡でかすかな星を探すことに確かに似ている。今や百億光年彼方の銀河だって観測できる時代だが、大きさ1mmに満たないハエの脳といっても、そうそう簡単に全体を見渡せるわけではない。たった1本の軸索の走行経路の同定に何日も何週間もかかることもある。ましてや脳を構成する何万もの神経細胞同士の連絡など、にわかには想像することすら難しい。

底知れぬ宇宙も、ケシ粒ほどのハエの脳も、ともに本来的な美しさと深遠さをあわせ持っている。それらが意味しているものを知ろうとする欲求は、その世界をのぞき込むほどにかき立てられる。だから、現在の私と、夜空を見上げて宇宙への旅を夢みていたあの頃の私は、やはりどこかでつながっているのだろう。

ところで私がいま携わっている「神経科学」という分野は、ヒトの脳機能や疾患と直結する学問領域であるために、何かと短期的成果を求められやすい。しかし、脳という精緻なシステムそのものに対する、多くの人々による純粋で熱烈な探究心こそが、この分野が発展する上での大きな原動力となってきたことも事実である。(ヒトからハエを含む昆虫、軟体動物にいたるまで数多くの神経細胞の細密スケッチを残し、現代神経科学の創始者のひとりと言われるラモン・イ・カハールなどは、こちら側の人間の代表格である。)

私はと言えば、ハエの脳の研究を開始して以降の数年間で、自分が競争的研究に向いていないらしいことはしかと認識した。今後、競争の激しい=金になる=短期的に人の役に立つ分野の研究に進んで参入することになるとは考えにくい。しかし、違った方法で何十年後、何百年後の科学の発展に寄与することは可能なはずだ。幸い、好奇心と熱意と思い切りの良さだけは存分に持っている。

無心に星空を見上げるように、望遠鏡を覗き込むように。ときには宇宙を遊泳するように。研究をする上で、観察対象に対する純粋な気持ちはいつも大事にしていようと思う。