2010年10月12日

「自転車道」渡邉 俊一

唐突だが,僕は自転車に乗るのが好きである.他人はなぜかと問うが,それは僕も知りたい.つまり,ぐだぐだ言葉を並べても,ピンと来ないというわけだ.「スピード感」「自力」「気楽」「小回り」「健康」「マイペース」・・・.上の写真を見ると,「一方通行(自転車を除く)」ってのもあるか.

いずれにせよ,言い尽くせていないもどかしさを感じる.これをちょいと拡張してやると,研究をしている理由も同じではないか,となる.
そう,なぜ僕は研究しているのか,という問いにも実は同様な答えしか用意できない.まあ,普段は当たらずとも遠からぬ回答をして,自己嫌悪しているのだが.

そこで,知るために,それを「している」ときの心の動きを追ってみることは悪いことではないだろう.というわけで,自転車に跨った.



川沿いを行く.本格的なレーサーがいる.犬の散歩かと思ったら猫だった.大きく息を吐く.打ち捨てられた粗大ごみ.スカイツリーが大きくなる.
とめどなく入る情報.そこではどれも留まらない.いや,留まらせていない.「あれ?」というカンジ.

この「カンジ」は研究のときとは違うかなあ.でも,どこか通ずる気もする.

そういえば,同じ「カンジ」を,どこか別の場所で経験した・・・ん,チェーホフを読んだ直後か.荒涼とした冬のツンドラよりも色彩がなくなる.気持ちがよい.
それは感覚を失うのではなく,感覚が研がれるがゆえであることを知っている.知っていると気付いたら,その「カンジ」は消えてった.

消えてった.
あ,気付いたのか!知ったのだ!
次の「カンジ」が戸を叩く.僕はそれを求めるんだ.
生まれて消えて,
くるくるくるくる繋がった.

ふと,ある曲が流れる.特撮というグループの“パティーサワディー”,

 神様のはからいで 彼はいいことを知った
 過去は過ぎ去りもう無い 未来きたらずまだ無い
 だから今が最高と 俺らころがっていこうぜ
 だけど今が最高と 誰が本当に言えるの


最後に合いの手で「わかんない」と入る.わかんないけど,わかんないから,自ら転がっていく.突き詰めて,それを知りたいのだ.くるくるくるくる螺旋状に.

何かを悟ったわけではないが,何も得なかったわけでもなさそうだ.



お,視界が開けた.海まで着いたようである.わかんないけど,まあいいや.わかんないから,今度は海でもころがってみるよ.
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