2010年11月04日

「コワイが出発点」宮田 舞

私はこう見えて(?)けっこう臆病なのだと思う。
よく「なんか、いつも楽しそう〜」なんて言われるけど、たぶん本質は同じ。

去年、サイエンスカフェならぬ「リベラルアーツカフェ」を立ち上げようと思った時も、内心かなりびくびくしていたなぁと思う。
会場が決まり、仲間が増え、あれよあれよという間に開催計画を考え始めた時も
「うわー、ウチってこのままどこまで流されていくんやろうー」
なんて考えて引きこもったり復活したり、また引きこもったり。
そうこうしているうちにめでたく1周年を迎えてしまいました。

なんにせよ、いろんなものがコワイのだ。
落ち込みたくない。
誤解されたくない。
できれば怒られたくない。
(ここまで読んで気分がどんよりしてきた人がいたら申し訳ないです。笑)

それでも私は、かなり「積極的に生きている」部類にも入っているようだ(たぶん)。
生物が勉強したいと思えば、文系クラスから無理やり農学部に行っちゃうし、理科の先生になりたいと思えば、教育学部に移っちゃうし、スゴイ人たちの教えを形にしようといきなりイベントを構想し、あまつさえ実現し、ある本に感動したかと思えば心理学に傾倒しだす。
とにかくどこまでも、やりたいよーうに突っ走るのである。
・・・自分のネガティブな本質を抱いたまま。

「積極的さ」の影で、実はいろんなことが起こっている。
なぜこういう経路が発生するのか自分でもよくわからないのだけど、自分の本質を、大好きな「あの人」や「あの学問」や「あの出来事」にもあてはめていく。
あの人を落ち込ませたくない。
あの人を誤解したくない。
あの人が怒られるべきじゃない・・・。

そんでもって辿りつくのは、
「あの人も、その人も、どの人も、みんな理解する方法ってないのかな。ありそう!」
ここまでくれば、臆病を飛び越えて頑固な自分の出来上がりだ。
ただひたすら、そこで起こっていること−現象−を捉えようとする。

文献を漁り、足を運んで観察し、話に耳を傾け、考えを伝え、アクションを起こし、自分に返ってくる物事さえも現象を見るための手段として、時間をかけて証拠を集める。
こういう方法≒「フィールドワーク」を研究に取り入れているのは自分のもともとの姿勢(性格?)がかなり影響しているなぁと、最近はよく思ったりする。

それでもやっぱり、言葉さえにならず元の黙阿弥に戻ってしまうことなんて星の数で。
だから私はもっともっと頑張らなきゃと自分を焦らすし、でもコワイし・・・。
まぁそんなこんなで、今日も明日も一人反省会は続いていくのである。

救いがあるとすれば、この臆病さや悩みが、私をよりよい観察者、よりよいフィールドワーカーにしていくということ。
フィールドワークの中で出会うたくさんの人生が、私を成長させてくれること。
あたたかい笑顔とともに認めてくれる人がいることに気づけること。
そして忘れてならないのが、きっとだれかのためになるだろうという予感を持てる嬉しさ。
十分すぎる救いだと思う。
全ては自分に還ってくるんだなぁと、当たり前のことをいつも実感しなおすのだ。

「コワイ」は私の出発点。

でも、ゴールは「コワくない」だけじゃなくて、微笑むこと。
「誤解が解消された」だけじゃなくて、同じ土俵にあげること。
そのためには、「最低限」じゃなくて、
地道に、たくさん、時間をかけて、「観る」努力をしたいと思うのです。