2012年05月17日

「ある日曜日の午後に」 三浦 瞬

休みの日。やわらかな陽の光に誘われて、外に出る。
目的地もなく電車に揺られながら、好きな作家の本に入り込む。春はそんな季節。
ふと周囲を見回す。
光に刺激され、私の体は活性化する。
服も鞄も帽子も、ほんのり温まっている。

そこで何が起こっているかなんて、普通は意識しない。

鞄を形作っている細かな繊維の、その一つ一つを形作る小さな分子。
そこには、原子核とか電子とか呼ばれる、さらに小さな粒がたくさんある。
陽の光はこの小さな粒に働きかける。そして、粒の動きがちょっと活発になる。

どんな風に活発になるのだろか。光をもっと集めてみたらどうなるだろか。

きっと、目に見えないくらい小さなスケールで、目にも止まらないくらい早いことが起こっている。
それをちゃんと考えるのは、私の平日の営み。
でも、おそらく、この車両の中で、そんなことを考えているのは私以外にそうそういない。

正確さに厳密であるからこそ、わからないことに対しては限りなく曖昧。
普遍的であるために、その普遍性を常に疑い続ける。
科学とはそういう、有用さと回りくどさを兼ね備えている。
だからこそ、魅力的でもあり、排他的な印象を与える。
 
そっと目線を本に戻す。

そこにいるのは、仲たがいしていた家族と再会し優しい言葉をかけられるヒロインや、理想と現実のギャップから逃避し犯罪に手を染めてしまう男とか。
気まぐれに曖昧に、それでいて激しく動かされる人々の感情と行動。
同じようなものが、この車内にも、もちろん私の大学にも、どこにでも満ち溢れているように見える。
私の精神を動かすものとしては、完璧な厳密さよりも、こっちのほうがしっくりくる。

人々が何を感じ、何を考え、何をするか。
それこそが、私の好きなもの。興味のあること。

一見人間らしさを離れた印象を与える科学という営みも、人々の心と頭が生んだものに違いない。
そして今となっては、人間の社会は科学によって陰に陽に支えられている。
この道を歩いてきた先人の知恵に触れ、自分でもやってみる。
それを踏まえて、また色んな人と関わりながら、刺激しあう。
そこにきっと、何かが生まれると信じている。

ずいぶん遠くまで来た。
陽の光に誘われて、電車を降りる。無機質な実験装置を離れた、緑に囲まれた渓流。
鳥が鳴き、魚が休み、人々はゆったり涼しい空気を楽しんでいる。
今日はお休み。
ここでしばらく、何も考えずに、風景を眺めていようと思う。



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三浦 瞬

理学系研究科化学専攻博士課程2年
分子にレーザーを集光して、そこで何が起こるか、見ています。
研究もいいけれど、旅行したり山登ったり歴史の勉強したりと、気が多くて困っています。