ふと、以前、携帯電話のカレンダーをずっと先送りにしていった時のことを思い出す。2020年、2030年、2050年…。ただただ機械的にめくられていくページを眺めながら、自分はこのとき何歳なのか、何をしているのか、どんな世の中になっているのかを想像してみたのだ。
2050年くらいには、ちょっと手を伸ばせば宇宙旅行は当たり前の世界になっているのかもしれない。でも宇宙に行くにはちょっと年を取りすぎたねぇ、なんてテレビを見ながら言っているのだろうか。とにかく、21世紀初頭はこんな世の中になっているなんて思わなかっただろうねと、今を振り返って懐かしく思うことができればいいと思う。
しかし、カレンダーを2100年までめくった時、にはたと気づく。そこには、携帯電話もそして自分もけしてその時を迎えることはないはずの日付が、今現在から連続した未来に確かに存在していた。そして感じるのは、深くて、暗くて、漠然とした恐怖。それは、宇宙の先のさらにその先を思い浮かべた時に感じるものと、よく似ている気がした。
わからないからこそ、怖いと感じる。
わからないからこそ、知りたいと思う。
そんな気持ちから科学が生まれ、この世界の輪郭は少しずつくっきりしていって、紡がれて、歴史となって、今の世界がある。
だけど、この世界の本当の姿を知ることはなく、人は死んでいくのだろう。
もしも永遠の命を手に入れることで、生命の、宇宙の、そしてこの世界の全貌を知ることができるのならば。
そう考えると、永遠の命をほしがる悪の大王の気持ちも、ちょっぴりわかる気もするのである。
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水川薫子
東京農工大学ポスドク
環境汚染物質の生物濃縮の研究をしている傍ら、国立科学博物館認定サイエンスコミュニケータとしても活動中です。