2012年08月20日

パズル好きの憂鬱 (小林 和也)

安易に引き受けてしまったリレーエッセイ。これまでまともな文章を書いた事がないくせに、最近論文の書き方や日本語作文の書き方を中途半端に学んでしまったがために自分の語学能力の無さをいやというほど知っている。我ながら自分の意味不明な日本語を公開してもよいものか、引き受ける前にちゃんと考えるべきであったと思う。友人が(おそらく)全力で書き上げたエッセイを読みながら、そのバトンを受け取った以上全力で書き上げなければ失礼であろう、などと堅苦しく考えると最終結論がリレーをお断りすることになってしまうので深く考えずに自分のペースでバトンを次につなげたいと思う。読みづらいであろうこの段落を最後まで読んで頂けただけでも幸いですが、どうか今しばらくお付き合いしていただきたい。

私はパズル好きである。知恵の輪は製作者の(大概は意地悪な)意図を見抜くゲームである。それが見抜ければ大体どうやって外すのかが予想できる。将棋やチェスみたいなボードゲームも好きである。ボードゲームも言うまでもなく相手の手を先読みして遊ぶゲームである。要するに思考ゲームが好きなのだ。

生き物の研究も同じようなもので、彼らはなるべく多くの子供を産み育てるという目的のためだけに生きている。つまり、一見しただけでは子供の数が減ってしまいそうな非合理的な行動や現象であっても、彼らの目的達成のために行われているはずであり、何らかのメリットが存在しているはずである。それを見抜き、実証するという作業が今の私の仕事となっている。この仕事をパズルで遊んでいるようなものだと思って、ちょっとばかり実証作業に時間がかかってしまうパズルを一生の仕事として選んだつもりだった。

博士課程に入ってほどなくして研究とパズルの決定的な違いに気づく。どんなパズルであったとしても解答を口外してはいけない。それはこれからそのパズルをやろうとしている人の楽しみを奪うことであり、映画館の前で上映中の映画の結末を大声で話してしまうようなものである。つまり、パズルは意図を見抜いて解いたら終了、あとは何も言わずこっそり元に戻しておくべきものである。そして一人ほくそ笑んでいればよかったのだ。しかし、研究はそうではない。もし難問を解いたのだとしたら大きな声で公表しなければならない。解答は論文として有名な雑誌に載せて初めて価値のある研究として認識してもらえる。解答を公表しなければ研究者としての成果がないことになり、給与がもらえず、そもそも仕事として成り立たない。

言うまでもなく語学が苦手な私はこの公表する、論文を書くという作業が苦手である。せっかく一生遊んで暮らすつもりが思わぬ落とし穴が空いていた。世の中そう甘くはないということか。この世界で生き残るために論文の書き方を1から学びなおしている今日この頃である。

--
小林和也
京都大学農学研究科昆虫生態学研究室 ポスドク研修員
なぜこの世にオスとメスがいるのか?なんてお伽噺みたいなテーマを研究してます