2012年08月15日

Figure out. (安藤 康伸)

僕は”figure out”という言葉のニュアンスが気に入っている。単語の意味をそのまま受け止めると、形を取り出す、輪郭を切り出す、というニュアンスだと思う。それを日本語では「理解する」と訳す。「理解する」ということが持つひとつの側面として、この「輪郭を切り出す」という作業にとても共感した。

世界も僕も、なんて曖昧なんだろう。昨日まではっきりと信じていたことが突然分からなくなる。自然も、意識しないと、言葉にしないとそれがなんであるかさっぱりわからない。僕らは理性を頼りに、世界に名前をつけて縛って、並べ比べて、繋げていく。そうやって、世界の輪郭を、骨格を「理解して」いく。

もうかれこれ29年、誰よりも僕は「僕自身」のことを見つめてきた。でも、さっぱりわからない。物理みたいにどれだけ経験をもとに「理論」を構築しても、僕自身をコントロールできないし、その理論は覆されっぱなしだ。それでも自分が幸福になるためには、この作業を忘れるわけにはいかない。僕のことを一番考えられる人間はただひとり、僕しかいないんだから。

「物理」を意識してはや18年。漸く物理学者は名乗れるようになったけれど、曖昧なことは山のように僕の目前にそびえ立っている。物理学者って物理が全部わかるひとなんじゃなくて、物理の、ある視点から、世界の輪郭を切り取る術を身につけたひとなんだろう。僕には水分子が踊り狂う様子が見える(もちろん肉眼ではない)から、曖昧なその姿を”figure out”しようと努力できる。18年で得たこの権利は、やっぱり僕のidentityだ。

でも僕には僕は分からないし、自然に対する物理のような、術も持っていない。今の自分の姿をはっきりと見据えて、自分自身の自画像を「なにか」から切り出すように、私の輪郭を取る技術を身につけられていない。絵を描くとか、歌を歌う行為は、もしかしたらその技術たりえるかもしれない。言葉も物理も芸術も、まるで一枚のまっさらな紙のような、さっぱりわからない世界から僕を切り出して、僕なりに僕を受け止める手段なのかもしれない。

僕が僕を理解する術を知ったときの、物理で世界を切り取る術はどう変わるんだろう。変な話だけれど、この疑問に答えることが僕の夢のひとつだと、今はそう感じる。

そして僕が切り出した世界が、他の人に驚きと感動を与えられれば、最高だ。

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安藤 康伸(Yasunobu ANDO, Ph.D)
産業技術総合研究所 産総研特別研究員
専門:主に第一原理計算を用いた計算物質科学
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