2011年01月14日

「『研究肌』と『研究者肌』の差異に関する推論」三宅 博行

まず前提として、僕は研究者ではない。
にもかかわらず、わりと頻繁に「研究肌」という形容をされる。

本稿ではせっかくの機会なので、「研究肌」と「研究者肌」との差異について考えてみた。先に断わっておくが、これは僕自身と周囲の幾人かを見て妄想したものであり、汎用性は全く保証しない。生物化学関連の話が多いのは、短い間だが生物化学科に属し、その一端を垣間見たからである。まずはどんな行為に対してそのような形容が行われたのか具体的にいくつか思い返してみよう。

たとえば中学の数学の試験。スムーズに解けても別解を思いついたら、その解答も完成させてしまう。
たとえば高校の理科の実験。何か作る途中で操作を間違えてしまった場合、その試料のその後もつい観察してしまう。
たとえば大学でのプログラミング。所与のモジュールで問題なく動作しても、その中身をじっくり見てしまう。
たとえば修士の実験。いざ執筆せねばならない段階で、実験の改善案ばかり考えてしまう。

これらの文末は、「ついスッキリしないので、無駄に〜〜してしまう」という形に変換可能である。さらに言えば、たいてい不幸な結末がついて回る。あんまり公言できないが、僕の修論(建築)はいまだに未完成である。(念のため書いておくと、実験のボリュームも内容も申し分なかったはずである。修士は頂けた。)

これを読む人は「研究者」が多いであろうから、思い当たる節もいくつかあるかもしれない。しかし、「研究肌」といわれる人間が「研究者」に向いているかというと、そうではない。僕がこの事実にようやく気が付いたのは、よりによって学部3年の進学振り分けで生物化学科に進んだころだった。「研究者」という職業に対して、漠然としたイメージしかない状態だった。今ならわかるが、「研究者」は人類にとって未知の事実を掴んでくることによって報酬を得ている人たちである。僕のは、自分にとって未知の事実を理解することによって自分だけが満足する、というような感じだろう。未知の解明の瞬間の得も言われぬ爽快感が根源であるという点では同じに見えるかもしれないが、差異はそれを適切にコントロールして何が求めるべきものなのかという脚本作りとその遂行ができる能力の有無にある。生物化学実験の最中にヒートブロックの温度制御機構が気になって分解していたりしたら、業績は遠のくばかりである。(やってないよ)。

特に現代科学は、時代とともにどんどん細分化されていき、ほとんどの分野ではチームプレーが必要だ。ここでチームと言っているのは個人の裁量で研究を進められるかどうかではなく、他の人の知や技術に負われる部分が必要かどうかという話である。制限酵素やポリヌクレオチドを業者から買って行う研究は大きい視点で見ればその業者とチームなのであり、購入物の精製レシピについては業者任せのブラックボックスだ。目に付いたブラックボックスをすべて追いかけようと思っても追いかけきれる分量では到底ない時代だ。科学技術評論家なんかはブラックボックスを全部をのぞいてしまう人たちのように思うが、中途半端な理解で発言すればその分野の専門家からは一斉に疑問の目を向けられてしまうような状況である。残念ながら、ダ・ビンチ的天才の再来はない、というほうに一票だ。

そういう視点で各分野を見渡すと、個人プレーのできる分野などもうほとんどない。残っているのは数学と理論物理くらいかもしれない。少なくとも自分の立つ足元が中身の分からないブラックボックスというわけにはいかなそうだ。“変人”と評される先生が多いのも、協調性や計画性よりも、己の知の限界のその先に対する「研究肌」の盲目的な発揮のほうがそのまま業績に直結する分野だからだろう。

こうしてみると「研究肌」という形容を研究者以外に対して使うときは、「そんなの追及したって、意味ないのでは?」という蔑視にも近いような感情すら含んでいる可能性がある。研究者に対してわざわざ「研究肌」と言わないのは、その研究肌が役に立って職業として成り立っているからであって、その性癖を揶揄する意味がないからであろう。

僕はいま、照明デザイン事務所というところで働いている。生物化学の入り口で躓き、建築学科で認知心理の応用をたしなみ、その続きで、照明だけでも場の雰囲気をガラッと変えられるのが面白くて現在に至っている。建築のできるまでには想像を絶する人数の膨大な作業が詰め込まれていて、僕らはそのごく一部の、照明の部分だけを追いかけていて、構造計算や材料工学、法令や規制など、ブラックボックスの部分が膨大にある。時間制限の厳しい職業であるから、不必要なブラックボックスをのぞかないようにする忍耐力はついたし、さらには覗きこむ必要のあるブラックボックスも概ねかぎ分けられるようになった。

それでも油断するといまだについついブラックボックス覗きに夢中になっていて、はっと我に返るときもある。あいつまたはまり込んでいるな?と見られていることもあるかもしれない。まぁ、根本的に治るという事はなさそうだから、これからもちょくちょく気を付けていくしかないだろう。最近は、業務の効率化の方法を検討して社内にフィードバックするという仕事も徐々に同時進行中で、これはこれで「研究肌」をちょっと癒してくれる内容なので、なかなか良いバランスだと、我ながら思っている。

「研究肌」のお子様たちよ、その肌は、研究者以外にも使い道があるかもしれませんよ。