2011年05月17日

「ねるねるねるねに近い」 森田 昌樹

 化学は、素材が実生活に近いところにあるくせに用語や概念が特殊なところがあって、わりかし面白みを伝えるのが難しいなとよく思う。今日は、自分の研究テーマについてと、その質疑応答、特に分野外の人からしばしば聞かれる質問に対する僕なりの回答例をうんうん考えながらご披露したい。面白みが僅かなりとも伝わればうれしく思う。

 僕の研究テーマは、「ほおずきの苦味成分の人工合成」というものである。ほおずきは、浅草寺のほおずき市なんかもあって、特に日本では非常に知名度が高い。これまで自分の研究の話をして、「ほおずきってなんですか?」という質問をした人は未だいない。これが日本以外だったら分からない。実際にされたら結構困る気がする。でも、たいていは赤い実を付けるちょうちん型の、というと分かってくれる。これはありがたい。

 苦味成分というのは、ちょっと妖しい表現ではあるが、理解可能だと思う。つまり苦い成分のことである。ほおずきの葉っぱをかじってみると、苦味がある。「良薬は口に苦し」というような苦味の典型例みたいな苦味である。苦味成分という言葉が少し妖しく聞こえるとすれば、他の味覚に比べてちょっとマイナだからかもしれない。旨味成分といえばグルタミン酸、辛味成分はカプサイシンなどあるが、苦味成分はあまり聞かない。苦い成分は薬になるのでなければふつう何の役にも立たないからだろう。

 ほおずきの苦味成分は、どういうわけか今から約150年前にドイツの化学者が興味をもって、ほおずきからその成分をとりだし「フィサリン」と名付けた。そして今、僕はほおずきが作る苦味成分を作ろうとしている。

よくある質問その1:そもそも合成とはどのようなものなのですか?
 ごく平たくいえば、作るという言葉に近いと思う。だから僕の研究テーマは、「ほおずきの苦味成分を作る」でも意味は変わらない。合成化学の分野にいると、合成という言葉はありふれているので、日常的にはどのように使うのか忘れてしまう。wikipediaでみると、「複数のものをひとつにすること。」とある。苦味成分を作る時の合成は、ねるねるねるねに近いと思う。僕はあのお菓子が大好きなんだけど、1の粉を水に溶かして2の粉と混ぜると色が変わって、味も変わるなんて素敵じゃないですか。苦味成分を作るには、材料となる粉を用意してそれを正しい順番で混ぜ合わせればよい。材料となる試薬はこれまでに5000万を越える数が登録されており、混ぜあわせ方についての研究も日々膨大な数が報告されている。なかなか思い通りに行かず全く色が変わらなかったり味が変になったりするので、組み合わせを変えたり混ぜる順番を変えたりと試行錯誤することになる。

よくある質問その2:ほおずきの苦味成分は何の役に立つのですか?
 この質問には、2通りの意味があって、1つは「苦味成分がほおずきにとってどういう役に立っているか」という意味だ。残念ながらほおずきに関していえば、この答えを知っている人はいない。食べられるのを避けるためかもしれないし、何かの排泄物のようなものなのかもしれない。しかしこの意味で質問する人はごくまれで、たいていは、「苦味成分が我々人類にどのような恩恵をもたらすのですか?」という意味だ。正直にお答えするなら、この質問も「今は分かりません」となる。薬になるかもしれない、と答えることもあるけれど、この「かもしれない」は、宝くじを買えば2億円あたる「かもしれない」と大差ない。良いニュースもある。実はここ10年くらい世界各地で生物学者がこの苦味成分に注目して研究をしている。だからうまく苦味成分を作ることができれば、少なくともそれらの生物学者の役に立つことはできるのではないか。

よくある質問その3:ではなぜ合成するのですか?
 1つはっきりしていることは、ほおずきの苦味成分を人工合成した人は世界中にまだ誰もいないし、その方法も分かっていないことだ。自分が合成できれば、未来永劫、一番最初に合成した人であることができる。これはとても大きなモチベーションになっていると思う。一方で迷いもある。まだ合成されたことのないものは既に合成されたものに比べてずっと多く選択肢も多様だ。その中で「かもしれない」ものをつくることが果たして正しいことなのか、はっきりと説明することは難しいように思える。合成研究の進み方というのは、登山に近いのだと思う。頂上に合成達成というゴールがあるとすると、一気に頂上に達することはあり得ない。一歩一歩進んでいくしかない。今どのあたりにいるのかわからない。でもまだほおずきの苦味成分という頂上は遠そうだ。頂上に着けばもっと見晴らしも良くなり、高い山も見えるかもしれない。それまでは誰も見たことのないこの山の頂上を目指そうと思う。
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