2013年01月01日

1+1はなぜ2になるのか (中井 智也)

大学で一体何を研究しているのかと、時々訊かれることがある。もし一言で答えるのなら、「1+1がなぜ2になるのかを研究しています」ということになるだろう。

「そんなの当たり前じゃないですか」と、思うかもしれない。でも、当たり前のことを疑うのがサイエンスの始まりじゃないだろうか?


「自由とは、二足す二が四であると言える自由である」


これは、ジョージ・オーウェルの『1984年』の世界で出てくる象徴的な言葉だ。

ウィンストン・スミスが決然としてこの言葉をノートに書きつけたのは、そもそも二足す二が四になることは、この世界でもっとも侵されてはいけない真実であるということを、彼が信じていたからだ。

2+2=4はなぜ正しいのだろうか?我々は外界から経験によってそれを学習するのだろうか?それは社会的に構成されたものなのか?それとも、この世界の向こう側にあるイデア界に浮かんでいるのだろうか?


ここで、少し別の切り口から考えてみよう。

僕たちは、普段何をするにしても脳みそを使っている。僕たちが言葉を話せるのも、物が見えるのも、スポーツや音楽を楽しめるのも、数百億のニューロンやグリア細胞のネットワークで構成された脳のおかげである(もちろん、このような仮説に反対する人はいると思うのだけれど)。

そうであれば、「2+2=5」という式や、もしくは「+224=」のような式を見て『何かがおかしい』という感じ、この感覚も、脳が作りだしているに違いない。

最新の認知神経科学(脳科学)の知見を利用すれば、1+1がなぜ2になるのか、いや、僕たちがなぜ1+1を2に等しいと感じるようになっているのか、そのメカニズムを知ることができるのではないか。そう考えたのは、学部3年のころだったと思う。

当時、僕は科学史および科学哲学を専攻していた。その後専攻を移し、機能的磁気共鳴画像法 (fMRI) を用いて本格的に脳の研究を始めた。

数学の認知神経科学研究は、調べれば調べるほど、面白い現象に溢れている。

例えば、我々が心の中に持っている定規は、実物の定規とはおよそ異なるものだ、という研究がある。実は2と3の間の距離は、5と6の間の距離よりも広いのだ。


こういった事実は、哲学の思索をしていただけでは決して知ることはできないことだ。だからといって、僕は哲学を捨てて科学という道を取った、という感覚は無い。そもそも、哲学と科学を分ける必然性など、どこにもないのだ。
何かしら、解明したい事象があるとする。それにせまるのに、言語の論理関係を分析したり、文献調査をするという手法がある。それとは別に、反応時間を調べたり、脳の活動を調べたりという別の手法がある。僕は後者の可能性にかけてみた。ただそれだけのことじゃないだろうか。

どうしても究明せずにはいられない謎がある。だから、貪欲に、使える知識や手法は何でも使う。脳科学だろうが、数学史だろうが、言語学だろうが…
それくらい惹きつけられる魅力を、この問題は持っているのだ。

1+1はなぜ2になるのか。この問題は、宇宙の起源や、生命の誕生に負けないぐらいの深い謎を秘めている。



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中井智也
東京大学大学院 総合文化研究科
専門:数学の認知神経科学

趣味で音楽活動をやっています。ジャンルはクラシック、ジャズ、タンゴ、フラメンコなど様々です。
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