2015年01月15日

ベールの下に (李 尚憲)

僕の専門は細胞生物学である。
日々、細胞の中のタンパク質や脂質を蛍光色素で可視化しては、顕微鏡で観察をしている。
たとえば、下の写真のような。



学部4年の春に研究室に入って以来、僕は研究の中心はずっと顕微鏡観察である。顕微鏡観察が重要な位置を占めるような研究をしているのは確かだが、それよりも単に、光る細胞たちをぼーっと眺めるのが好きなので細胞を染色する実験ばかりをついついやってしまうという面が大きい。写真を見せたある人からは「細胞って宇宙みたいだね」と言われたことがあったが、至言である。光る細胞たちを眺める時間は、天体観測の時間によく似ている。

細胞たちを様々な条件にさらして、染色して、出来上がったサンプルの細胞たちをぼーっと眺めていると、サンプルによってはときどき「何かがおかしい」と違和感を感じることがある。
「どうも通常の条件では起きないことが(この培養条件下では)起きている」
いつも、始まりはこの感覚からである。もしこの後「何がおかしいのか」を正しく捉えることができれば、それは発見の第一歩であり、再現性の確認や他のアプローチによる解析など、必要な科学的ステップを踏んでいく。たいていは、雑多な細胞集団の中にたまたま現れた「はずれ値」だったり、再現性がよくなかったりして、発見に至らずに振り出しに戻る。

ただ、僕がM1の冬のある日に出会った「何かがおかしい」は偶々でもはずれ値でもない、確かな「おかしさ」であった。

下の写真は「エンドソーム」という細胞内の小器官を染色したものである。左側が通常の細胞たちで、右側がある特殊な条件にさらした細胞たちである。最初見たときは気がつかなかったのだが、しばらく観察を続けていると、右側の条件ではエンドソームが刺刺しい構造に変わっていることに気がついた。



これがはじまりだった。
気がついた瞬間、「大変なものを見てしまった」と思った。何が起きているのか、未熟で背景知識の乏しい僕にはすぐには分からなかったが、何か大きな発見であったことは直感的に分かった。
すぐに、先生に顕微鏡室に来てもらって細胞を見てもらった。先生も、「こんな状況は見たことがない」と、驚いていた。「これが真実なら、絶対大きな論文になる」興奮した先生からは、その場でそんな話まで出てきた。

「見つけてしまった」
僕は、興奮したというよりは、そわそわした。発見は午前中のことだったが、その日の午後は、とにかく落ち着かなかった。実験は全く手につかず、夕方までひたすらキャンパス内を徘徊した。
ノーベル賞のメダルにも描かれているように、「発見する」を英語でreveal = re (離す)+ veal (覆い、ベール)というが、その日の僕は、まさに「ベールの下に自然界の素顔を偶然見てしまった」、そんな心境だった。もちろんノーベル賞級の発見ではないことは言うまでもないが、M1の学生には少々重過ぎた。
「セレンディピティは準備された心にのみやってくる」とよく言うが、僕の心は全く準備されていなかった。
むしろ準備されていなかったからこそ、普通はやらない実験条件を試し、それを先入観のない目で見ていたからこそ、気がついた変化だった。要するに、ビギナーズラックだったのである。

その日からというもの、僕の研究生活は、その日の発見にいかに肉付けをして論文の形に持って行くか、そしてその論文をいかに著名な雑誌に受理させるか、その1点に注がれた。論文というのは不思議なもので、「このデータさえあれば」というデータが1つあれば、他のデータが多少中途半端でも全体として論文の体裁は整う。「このデータさえあれば」のデータを既に得てしまっていた僕は、後は定石通りに周辺データを集めるだけだった。1年ほどして、論文は完成した。

周囲からは、「もう論文なんてすごいね」「しかもあんなトップジャーナルに投稿するなんて」と羨望半分、嫉妬半分でささやかれた。トップジャーナルを狙う分子生物学系ラボでは論文の形にするだけで平気で3、4年かかるので、周囲の声は無理もなかった。しかし僕は内心、嬉しくも誇らしくもなかった。論文を論文たらしめている主要データは偶然の産物であり、そこに僕の研究者としての能力や計画性は全く反映されていない。「運も実力のうち」というが、僕に実力の実感はなく、自分の実力以上の結果が目の前にある、そう感じていた。

「実力で、何かを見出したい」
そう思って、自分の研究計画性を見直し、論理を詰めて、背景論文を読み込み、新しい実験を繰り返した。大好きな顕微鏡観察だけでなく、苦手な生化学実験にも積極的に手を出し、実験科学者としての幅を広げようとした。しかし、やってもやっても、M1のときのあの偶然の発見を超えるものは出てこなかった。

投稿した論文はその後、様々な雑誌に却下されては投稿し直し、そしてまた却下されては投稿し直し、を繰り返した。自分が井の中の蛙であったことは充分すぎるほどに感じさせられた。
「あの日の発見がなければ、こんな悔しさを何度も味わうこともなかったろうに」と、あの日あれを見出させた何者かを恨んだ。

そうして、気がつけば最初の投稿から2年が経った。
数々の雑誌に却下されたが、捨てる神あれば拾う神ありというか、論文は先日とうとうある国際誌に受理された。2年間の雑誌との格闘の中で「肉付け」は一層拡大し、データの量は最初の投稿時の2倍近く、先生曰く「2つの論文に分けられるよね」という重厚な論文になっていた。


研究には、0から1を作る過程と、1から100にする過程があり、僕は0から1へと幸運で飛び移った。その後の3年は、1をひたすら100に近づける日々だった。どちらの過程も大切であり、どちらを欠いても研究が完成することはない。
しかし、どちらがより難しいかと言えば、僕は0から1への過程だと思っている。
1を100にしたこの3年間に学んだことは多くあり、今では昔のように「実力以上の結果が目の前にある」などとは思わない。それは自信を持って言える。ただ、欲を言えば、0から1を、自然界からのプレゼントという形ではなく思考する研究者として登りたかった、論文が受理されてもなおそう思うのである。

幸い僕はまだD2であり、博士課程の修了まであと1年を残している。あと1年で0から100までたどり着けるとは到底思えないが、0から1を生み出すことは、充分可能だと思っている。
そのために大切なことは、あの発見をしたM1の頃と同じように、無垢な心で細胞を観察することだろう。「何かがおかしい」の感覚を逃さないように、できるだけ先入観を除くことだろう。あの頃よりもずっと知識が増えて「賢く」なった研究者は、ややもすると「このサンプルに意味はない」「このポイントだけ見ておけばいいだろう」と言って、ベールの下の自然界の素顔を見逃してしまうかもしれない。
あとどれくらい研究を続けるかは分からないが、いや、分からないからこそ、顕微鏡で眺める細胞の美しさに、真摯な心で向き合い続けたいと思う。


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李 尚憲
東京大学大学院薬学系研究科 博士課程

私たちの体を作る細胞が、私たちが生きるためにどのような仕組みで活動しているのか、そしてそこから、私たちが病気になるのはどうしてなのか、そんなことを研究しています。研究は好きですが、どちらかというと、研究を通じて様々な人に出会ったり様々な世界を知ったりすることの方が好きなんだと思います。
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