2016年01月01日

病院というフィールドから (梅田 夕奈)

「え、お前シャーマンに興味があったのか!」

そろそろオペも終わり、閉創をしていたときのことです。オペ中ただひたすら視野を広げるための鉤持ちとして器具の一部と化していた研修医に話題を振ってやろうと思ってくれたのだろう外科の指導医が、「梅田は前は人類学というのをやっていたんだってな。それはどういうことをやるんだ?」と問いかけてきました。真剣に答えるのは結構大変なので、普段は曖昧にごまかすこともある問いなのですが、ほぼ365日一日の休みもなく病院に顔を出し、この間は22時にオペが終わったあと5時からの緊急手術に入っていた外科医を前に、私はかつてなく真剣に応える覚悟を固めました。「私は医療人類学という分野に興味があって人類学をやっていました。人間の『医療のようなもの』全般を研究対象とする分野です。もともと人類にとっての治療全般に興味があって、近代医療のない人たちがどうしているのか、呪術師やシャーマンの治療儀礼がどのようなものかを含めて興味があったんです」。

この返答に対する指導医の反応が冒頭のそれです。ちょっと滑稽な形状の珍種を見たときのような反応でした。「シャーマン(笑)!」と清潔野に地味にさざ波が起きました(清潔野とは、手術室などで、処置に伴う感染を防ぐために厳密に清潔を保つ領域のことです)。無影灯に照らされた、まだ露出した筋肉やら閉じきらない皮膚やらを前に、私は内心、「私には、呪術師同様に外科医も十分もの珍しいし、目の前のこれもだいぶ供犠っぽく見えるんですが…」と思いました。指導医とともにこの返答を聞いていた先輩医師から話は広がり、以来、病院のあちこちから、「シャーマンキング好きなの?」「休日はやっぱりシャーマンごっこなの?」などと、珍妙な声を掛けられるようになりました。

事態の説明をしましょう。私は休止中の文化人類学の研究者であり、同時に現在見習い中の医師でもあります。文化人類学という分野は、長期にわたる現地でのフィールドワークを学問的中核としています。対象でも問いでもなく、「その場に暮らし、現場の活動に自ら巻き込まれて考える」という、その学問的手法だけが己を規定しているジャンルです。研究対象はトロブリアント諸島の貝殻で作られた腕飾りの交換から、生化学の実験室まで多彩。もちろん過去には、シャーマンに弟子入りをした人もいます。だから私は医者になることにしました。医者に「なってみる」ことにしたのです。

医療は、今かつてないほど濃密に、私たちの生きることへのイメージを、希望を、生を、規定しています。社会のしくみと一体となった世界観を、宗教学や人類学ではコスモロジーと呼んできました。いまや医療は私たちの社会において、コスモロジーの中核の一部を成しています。

それにしても、文化人類学の大学院に行ってから見習い医者になる、我ながらなんでこんな手間のかかる迂回路をとることになったんでしょう。振り返れば、TVに齧りついてばかりいて親に怒られていた子どもの頃からの素朴な疑問がありました。子どもの頭のなかでは、TVに映る「遠い外国のこと」と本のなかにある「昔のこと」は一緒くたになって、いわば地域性と歴史性の区別もつかなかったのですが、素朴さを恥じずに言えば以下の疑問です。医療のない社会で、私たちよりずっと、病いや怪我に対して無力で死の危険性に晒されている人も幸福でありうるのか。一方で、現代医療のない社会の人のほうが幸福でありえるということもあるんじゃないだろうか。まあ子ども時分にこんなこまっしゃくれたことを考えたわけじゃないですけど、大人の視点で遡及的に問いを整理するとこんな感じです。

「こんなに医療が発展したのってこの数十年くらいのことなんでしょ?おばあちゃんだって若い頃チフスで死にかけたんでしょ?じゃあそれまで人類はずっと不幸だったの?」というのは、子どもにとって恐ろしい問いでした。だって自分の幸せがそんな人類史上宝くじ的幸運の上に成り立ってるんだったら、そんな幸せ楽しめないじゃないですか。そんなこたあない。と、今なら子ども時代の自分に答えます。それはお前の幸福の定義が社会状況に規定されて貧しく、そして傲慢なのだ。日本の子どもの目から見てどれだけ物質的に貧しいところにも、「文化」はあって、独自の生のかたちがあって、もちろん幸福もあるのだ。一つ目の問いは、文化人類学を系統的に学んで行くなかで氷塊していきました。

氷塊しなかったのは二つ目の問いです。医療は時に、「非人間的」と見える試練を人間に課すように見えます。管だらけになって生かされる命。範囲を広げる「異常」と服薬。私は先日、自分がちょっとした手術を受けなければならないかもしれない危機に見舞われたのですが、普段患者さんの手術に立ち会っているくせに、「嫌だあ!全身麻酔とか冗談じゃない!手術なんて受けたくない!」とさんざん駄々をこねました。痛みがコントロールされても、小規模な手術だとわかっていても、それでも嫌だったのです。自分の身体がモノのように扱われ、侵襲的な操作を受けるというそのことが。自分は新米ながら当たり前のように「このお薬は必要ですよ」としたり顔で説明したり、処置の前に不安になる患者さんを苦笑しながらなだめるのに。なんとも勝手なものです。我が事として眼前にしたときの医療の猛々しさは多くの人に程度の差はあれ意識されているものでしょうが、医者になって初めて私は、「管だらけ」にすること、生命の維持に決定的な介入をすることによって得られる医療的管理のパワーを知りました。そして回復を待つなかで浮かび上がる、生体の恒常性の厚み(時には薄さ)を。それにわずかなりとも触れ、自分が介入できているという感覚はとても魅力的で、何か核心的なものに触れているという実感を与えてくれます。科学技術と身体のダンスのなかから浮かび上がるこの猛々しくもまばゆい世界は、結局、私たちの「幸福」とどう関係しているのでしょう。

実のところ、「転職」なのか「長期調査」なのか曖昧なまま、不安な心持ちで出立しました。人類学者は、病院などの現代的なフィールドで調査をするタイプの研究者であっても、論文を書くアカデミアをホームと呼んでフィールドと区分します。多くの調査者は、現地の情報提供者に対して自らを調査者として提示し、やがてはホームに帰ります。フィールドに行ってそこで何か職を見つけて研究者にはならなかった人たちみたいに、私はホームに帰ることはないのかもしれない。今の自分が日常で気にかけているのは、少しでも役に立つ医者になること、患者さんにせめて害を成さない診療を心がけること、先輩医師たちの必死の働きを少しでも軽くすることであって、研究者としてのスタンスからほど遠いのも事実。でも来年から週半日、ホーム―つまり人文社会学系大学院―に戻る予定です。少しずつ、フィールドでの発見を紡いで行きたいと考えています。

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梅田 夕奈
都内病院勤務

専門は医療人類学。日本の医療業界で「医療人類学」と言うと「なにそれ?」という反応を返されますが、実は文化人類学のサブジャンルとしては巨大な研究領域です。ただ、医療系と人文系の業界格差はさておくとして、現場の切実な問題を相手にしている医師から見ると、射程の広すぎるその問いのあり方を共有し難いという部分があるようにも思われます。人類学的な問いを医学へ、医学的な感覚を人類学へ。少しずつ輸出できるように、病院のリズムや、血と肉と骨の手触りを伝えられるような記述ができればいいなと思っています。
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