2015年10月05日

研究の「虎の巻」 (宇田川 彩)

今夏、『研究する意味』という本を読んだ。人文社会学の誰もが名を知る、金子勝、高橋哲哉、竹村和子、岡真理、吉見俊哉、藤原帰一、大澤真幸といった諸先達によるインタビュー・エッセイ集である。2001年の同時多発テロの衝撃を受けた著者らが、彼ら自身の「研究する意味」を大学生や大学院生向けに語っている。

2003年に出版されているから、学部生として入学して程ない私が大学図書館で見つけたときにはほとんど新刊だったわけだが、それからあれよあれよと時が経ち、私は博士課程の最終学年にいる。学部生だった私は、その後少なくとも二回は本書を手に取り、そのたびに書棚に戻した。どうやら「研究する意味」にかんする秘儀が書かれているらしい本であり、そんな秘儀を垣間見てしまったらおしまいじゃあるまいかと畏れたのである。

それから12年。この本には秘儀は何ら明かされていなかった。全ては読んでいないし詳しくは書かないが、むしろ研究者としての作法や耐久力を少しは知った今となっては拍子抜けするほど当たり前のことが書かれていた。少なくとも「虎の巻」を妄想した学部一年生の私はいなかった。「10年間耐えろ」と言われると、それってあとどれくらい耐えるってことなんだろう・・と、今でこそ戸惑うけれども。

細々と博士論文を書き続けられているのは、私が「研究する意味」を知っているからではない。ただただ、フィールドでお世話になった人たちを無下にはできないという一種の責任感くらいしか今はない。それも、二年間ずっとお世話になっていた人たちだけでなく、一回すれ違っただけの人たちのことを、たまに思い出す。ブエノスアイレスの市内バスの中で、角を曲がるたびに大きく揺れるのにもめげず手すりにつかまって論文を読んでいると、中国系か韓国系のおばちゃんが笑顔で立って席を譲ってくれた。おばちゃんは何も言わなかったが、その人の顔を思い出すと、勉強しなければいけない気になる。

今のテーマをさっさとおしまいにして新しいことをしたいし、これまでやってきたユダヤ研究も、文化人類学研究も、アルゼンチンというフィールドも、今と同じように続けていく気はしない。そんな気分の夏だったからこそ、12年越しに『研究する意味』を読んだ。これまでの研究とはまったく異なる、でも自分の中では共通点のある進路を検討してみたりもした。やりたいことはたくさんある。

夏も終わり、一年後に何をしているのかはわからないが、まずは先に進みたい。これまでの研究が消えて溶けてしまうことはないから、秘儀も虎の巻もないまま、気がついたらどこかに轍が踏み残されているのを、いつかどこかから振り返ることができればと願っている。

金子勝,高橋哲哉(等)著2003『研究する意味』東京図書。

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宇田川 彩
東京大学総合文化研究科 博士課程

専門は文化人類学・ユダヤ研究。学部生の頃からユダヤ研究にはまり、アルゼンチン・ブエノスアイレスでの現地調査(2011〜2013年)を行う。現在は、海外での日本的な食と健康の需要・受容に興味がある。
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